摂食障害ありがとう。

摂食障害を通しての気づきを綴る。

私の大前提

今まで生きてきて、頑張ることは当たり前で、頑張らないと認められないと思ってた。常に笑顔を絶やさずに、明るくいなければダメだと思っていた。

 

頑張る教から抜け出したい。頑張らないダメな私でもいいって思いたい。認めてあげたい。だって実際ダメだもん。

 

全然笑わなくて、ムスッとしていて愛嬌がない子が怖い。でも、その子はその子でいいし、自分がそれにバツをつけている。私も無理して笑わなくていいんだよ。

 

頑張って周りの空気を読み取って行動しなくても、常に元気に笑顔じゃなくても、大丈夫。

 

それは優しさなのか。

またやってしまった。

人に気を遣いすぎて、自分の心をダメにした。

具体的にいうと、シフトに入りすぎて、メンタルボロボロってか。

 

こうしたら、ああしたら、きっと助かるだろう、喜んでもらえるだろう。

もともと人よりキャパシティが少ないくせに、他人のことばかり考えて何やってんだ。しかも自分が嫌われないようにやっているだけで、自分が好かれようとやっているだけで、そう考えると周りへの優しさでもないし、自分にも優しくできていない。

 

またひとつ、試された、学んだと思って、一個ずつ潰していかなければ。

 

吐き気がするわ。。。

 

でも、店長に希望を伝えられたことは、きっとでかい。

変わるぞ。私。

働くこと

体調崩して一ヶ月間働かなかったんだけれど、その時に働く意味を考えるようになった。

最初始めたバイトは、みんながやっているからっていう理由。

次は、居酒屋で働いてみたかったから。

次は過食回避のために時間を潰すためだけに。

次は、体調良くなったしみんな掛け持ちで働いてるからそろそろ掛け持ちしないとっていう理由。

 

みんなと比べ、悲観し、自分はこのままじゃダメだと思って始めたバイトは、正直うまくいかなかったかな。ここで働きたい、そう最初から思えた居酒屋のバイトだけ続けられた。

 

働いていることは私の中で生きている上での大前提であって、でもそれは働くことについていい考えを持っているわけじゃなくて、ただみんなが働いているから。ただそれだけ。

 

働かなかった時間はは一つの私の前提を壊すことであり、枠から飛び出せた大きな進歩だった。おかげでしっかりと働くことについて、見つめ直すことができた。

 

多分、施設で農作業をする生活や、引きこもり、摂食障害での入院生活を経験したから言えることだけれども、社会に出て、人との関わりで得られる幸せとパワーがすごいってこと。

 

それも、直接的に、人と関わる。

人と関わることが、例え、習い事やお買い物であれパワーになるのは変わりはないが、働く上で 人と関われば、それがお客様や同じ会社の仲間になる。

 

自分が役に立っていると感じ、この世界での存在意義を実感する。

仲間と築きあう雰囲気や時間がこれほどに楽しく幸せなものだと実感する。

初めてあったばかりのお客様だけれど、素敵な人ばかりで世の中の温かさを実感する。

 

前に働いていた居酒屋で、働く楽しさを教えてもらえたんだと思う。

事務職もしたけれど、私は表でお客様と触れ合うことがあっていたと思う。

 

まだまだ病気のこと考えて余裕がなくて、狭い世界でしか自分を捉えることができないけれど、たくさんの人と話して、少しでもいろんな価値観や世界観に触れたい。

お客様にその場でいい時間を提供して、ありがとうって言ってもらえたら嬉しい。

 

もうみんなと比べることをやめて、私が幸せを実感できる居酒屋でまた、働こうと思う。ちゃんと誇りを持って、居酒屋で働いています。って言えるようになりたい。

 

もちろん、今は、の話だけれど。

アルバイトだけれど。

 

それでも、今やりたいと思うことに、全力を費やそう。

 

 

自己肯定感を自家栽培する。

できないことに直面すると、どうしてこんなにできないんだろう、私ってほんと特技がないな、ダメだなあ、と自己否定よくする。

 

ダメな自分が許せない。

 

ダメな自分が許せない、という自分に気づいたのもここ最近。

 

ダメってなんだろうなーー

魅力がない、就職してない、痩せてない、だらしない、可愛くない、いいひとじゃない。足りないものばっかり。ないないナーーーーーーーーイ!!

 

って思ってたけれど。

 

本当はあるんだよね。

自分が思ってるより、私は満ちてあること。足りていること。足るを知る、っていうよね。

 

最近は、潜在意識を変えるために、

私は魅力が溢れている!痩せてなくても痩せても愛される!何もしなくてもダメな自分でも価値がある!って、恥ずかしいけれど呟くようにしてる。

 

どんな自分も認めて、自己肯定感を高めて、自分で自分を養って、刈り取る。

自己肯定感を自家栽培する。

今ちょうど、田植えの時期ってところかな。

 

お米田植えから手刈りまでしたことあるから、ちょっと詳しいっていう。笑

 

黄金に稲が輝くように、しっかり自分の心と向き合って、輝きに満ちた自分になれますように。

辛いときもあるけれど、人体実験を楽しむような感じで、ね。

 

自分には、価値が、魅力が、幸せが、ある!

 

人はきっと、私が思っているより優しいんだ。

摂食障害を発症して五年が経ちました。辛いことや後悔もありますが、摂食障害を通しての気づきがたくさんあるので、感じるままにのびのびと綴っていこうと思います。

 

非嘔吐過食症の私は、体型が常に安定しません。

 

太っているなあと思われている。

きっとキモいこいつと思われている。

可哀想なやつとあざ笑っているに違いない。

 

そうやって常に他人を悪者にして、自分を苦しめて悲劇のヒロインになっていました。

 

だけど、仕事を辞めて、少し余裕ができ、信頼できる友達や仲間の輪だけに身を置いて生活している今、少しだけ思ったこと。

 

あれ、こんなにもみんな優しかったんだ。

 

ということです。

 

太っていても変わらずに接してくれること。病気のことを話しても、受け入れてくれること。会いたいと言ってくれること。

 

なんだか私にとっては信じられないし、本当に嬉しかったです。

 

私が所属しているゴスペルチームも、最初慣れるまでの半年間は、周りの目を気にしてレッスン前は会うのが怖くて、ガチガチでした。

ですが今は、今では一番の居場所であり、家族です。

 

なのかがゴスペルに入ったこと、偶然じゃないよ。メンバーみんな、なのかの病気を全て受け入れるよ。病気が治るようにいつも祈ってるし、神様が祝福しているから、大丈夫。

 

病気のことを打ち明けた時、そう言ってくれました。

勇気がいったけれど、ありのままを受け入れてくれるってこんなにも温かさに包まれて幸せな気持ちになるのだと実感しました。

 

ゴスペルチームの仲間だけじゃない。私の周りの友達も、習い事のメンバーも、仕事で出会った人たちも。みんなみんな優しかったんです。

 

信号待ちで隣にいるサラリーマンのおじさんも、宅配のお兄さんも、散歩していてすれ違ったおばさんも、洋服屋で目があった店員さんも、お洒落して楽しそうな若い女の子たちも、知らない人だけど、みんな、きっと、とっても優しくていい人。敵じゃない。

 

そんな柔らかい目で人を感じ、幸せな気持ちで溢れたいなと思いました。